1年前の“今”と違う私が居る。
今の私は、米良奈々子として生きることが、とても嬉しくてとても楽しい。
手術も無事に終了し、体力、体調の回復もとても良く、半年以上が過ぎた今は、更に快適な日々を送っている。
東洋医療を知る人で、自然療法などで病気を治そうと思っている人は“これこそが正しい治療法だ”と思い込み、西洋医療を否定する人が多い・・・という事に気が付いた。
かつての私も例外ではなく、東洋医療で完治することを望み、その思いが強くなると、東洋医療だけで完治する事だけが、奇跡だと思い込んでいた。自分ならこの奇跡は起こせると思っていた。
本来、どのような物事においても、様々な選択肢のある中、平等な目と心で視野を広げて、ひとつひとつを見極めながら、自分らしく生きられる為に選択することが、バランスが良く理想的だと思う。
以前の私は、東洋医療の中の治療法や、西洋医療の中の治療法とどれも平等に知っているつもりになっていて、平等に観ているつもりでも、強い思いが執着となり、そこに頑なにしがみついていた。
乳がん発覚後半年位から、身体のケアや心の在り方でお世話になっている、植物療法士の先生からも常に注意されていた。
当時の私は、自分なりに向き合い、生きることを必死で選択していたが、そのバランスの悪さは自分では全く観えていなかった。
昨年7月、このブログが掲載された直後は、乳がんの大きさも相当な大きさになり、洋服を着ていても胸の左右の大きさが違うのが、あからさまに分かる程になり、外部の炎症を起こしていたので、患部からの出血が多くなり、日々貧血に悩まされ始めた。
昨年の夏は、酷暑と言われるほどの暑さで、健康な人でも相当な体力を消耗する毎日だったと思う。
その上貧血ときたら、息切れも酷く、歩く速度も遅くなり、駅などの階段は本当にしんどくて、遠回りしてでもエスカレーターやエレベーターを探した記憶がある。
そして極めつけに出血をし、深夜に救急車で家の近くの病院に運ばれた。
初めて会ったその病院の医師に、なぜここまで手術をせずに放っておいたのか?なぜ手術を拒むのか?など、根掘り葉掘り聞かれ、東洋医療の事を伝えたが理解して貰えなかった。
西洋の治療の中でも、手術ではなく、なぜか抗がん剤を強く勧められた。
理解して貰えない悔しさ、それまでやってきたことを否定される様な扱い、そんな状況で、更に頑なに自然療法を貫き通そうと意地になっていた。
ただその意地とは逆に、貧血の怖さもひしひしと感じ始め、このまま患部を持っていても出血が止まらない限り貧血は治まらず、このままだといつ倒れるかという不安な気持ちにもなっていた。
これまで、やってきた自然療法が無駄になるのか?
これまで自分が選択をしていた治療法が、間違いだったのか???
この頃は、毎日こんなことを自分に問いかけ、答えが見つからないまま、悶々と日々を送っていた。
貧血も限界に近づき、さすがに観念したか・・・手術受ける事も考えてみるかな・・・。
出血さえなければ、貧血にさえならなければ・・・と思う日々だった。
方向性を変えるのなら、新たに他にご縁のある医師と出会いたい!良い医師を探してみよう!!と思いついた私は、インターネットや本屋に行っては探した。
しかし、医師も同じ人間。会ってみないと分からない、その時にはピンと来る医師はいなかった。
もし、診察を受けたい医師を見つけ、今から予約をしても、きっと順番が来るのは1ヶ月〜2ヶ月は待つだろう・・・。待って診てもらえるなら良いが、紹介状がないと厳しいかな・・・。
他の医師を探したいという気持ちとが空回りし、なかなか行動に移せないでいた。
私が理想とする医師とは、今までやってきた事を理解や肯定をしなくても、せめて否定せずに、患者の気持ちや希望を考慮して貰いたかった。
特に、乳がんは抗がん剤や放射線をセットに治療をする医師は少なくない。私は、なるべくなら化学療法を避けたいと思っていたので、それも相談できるような医師はいないかなと考えていた。
手術を受ける事を視野に入れた瞬間に、宇宙は私に違う奇跡を与えてくれる為に動き始めていたのだ。
8月下旬、出血も相変わらずに、仕事で忙しい日々が続いていたが、ひと段落したある日、私の体調を気にかけていて下さった、ピンクリボン・リレーブログの運営者でもある、ののりこさんと食事をした。私の病状、体調の近況報告がこの日の話題のメインとなった。
私は手術を考慮に入れたものの、手術への不安、術後の自分を受け入れらけれるのか?など心痛の思いいが巡り、その気持ちを正直に伝えた。
私の胸の大きさが左右違うことに気づいていた彼女は、自然療法を続けて来た私の方向転換を心から安堵し、そして「出来る事は力になるよ」と笑顔で勇気付けてくれた。まだ、病院を決め兼ねていた私に、ちょうど乳腺科の医師と連絡が取れる状況にあり、「人間味に溢れ、話をよく聞いてくれる先生だから、会ってみたらどうか」と、思いがけない道筋を作ってくれた。
初診日の予約も、予想していた以上に早い日にちで取れ、それにも驚いたが、更に驚く事にその医師は、かつて私が希望として考えていた以上の医師だったのだ。
それまで続けてきた治療の内容、そこからの方向転換を受け入れてくれた。
どんな質問に対しての説明も、患者さんの目や表情を見ながらで、理解できていないだろうと感じると、更にゆっくりと分かり易い表現をして下さる。
時間を惜しまずに、患者さんの希望や気持ちをよく聞いてくれるので、不安な気持ちも徐々に回避されて行き、診察の度に笑いの場面も増え、安心感が増していった。
後から知った事だが、その病院は転院するのが難しく、前院の紹介があってもタイミングによっては受け入れて貰うことが出来ない場合もあるという。
主治医となって受け入れて下さった医師の心の広さと、懐の深さが本当に有難かった。
初診の日〜検査日と結果が同日で〜そして手術日が決まり〜入院の日と、その流れは、本当にスムーズに導かれるように進んで行った。
乳がんが発覚した2007年当初、発見された病院で手術をするに向け、様々な種類の検査を行った。
年末年始だった影響もあるかと思うが、検査だけで3日間費やし、結果が分かるのにも2週間程を要したことを思い出した。
しかし、今回の病院は、恐らく患者にできる限り、負担をかけない様にとの配慮の中、必要最低限の検査のみだった。とはいえ、やはり受けている間の緊張や、結果までの時間は、色々な思いが巡りグッタリしていた。
それまでも、1ヶ月に1度はエコーや採血の検査は受けていたが、CTなどの精密な検査は、実に3年振りという事もあり、これまで突き進んできた自然療法の成果が、いわゆるこの日に科学的に突き付けられるという現実に直面した。
今まで信じて遣ってきた事の結果だったが、やはり直面すると、結果が楽しみというよりは、聞くのが怖かった。逃げたかった。
この逃げたい気持ちも医師は理解してくれていた。
検査の結果、左脇のリンパが腫れている、左首筋のリンパが少々腫れている・・・との事。
後日エコーの撮影。首筋は問題なし、左脇リンパは切除してみないと分からないという事で、手術の際に一緒に採りましょう、との結論になった。
選択肢として、現状で手術を受けるか、あるいは抗がん剤で患部、左脇リンパを小さくしてから手術を行うか・・・と2択があった。
私は、以前から抗がん剤は避けたいとの強い思いがあった。
抗がん剤で小さくしてから切除をすることを強く勧める医師も居るだろう。
確かに医師の立場から考えると、その方が手術も上手く行く確立は高いのだと思う。
何より、あれ程までの大きさになっていると、転移の心配もあったのだろう。
あっ!だから深夜に救急車で搬送された時の医師が、手術ではどうにもならない、抗がん剤で治療するのが良いと勧めていたのか・・・。
主治医となったその医師は、患部を持ち続けて、半年間の抗がん剤の期間を乗り切ることが相当な負担になることなど、様々な状況を想定し、そして私がこのタイミングで手術を決断したことの気持ちを理解し、今が患部との決別の時期であることなどを察知してくれていた。
ここまで来たら覚悟を決めて、そして覚悟を決めたなら、手術は早い方が良い。
全摘をしたら絶対乳房再建は必須との希望を伝えた。
患部の炎症などの状況から、同時再建で無理するのは止めて、後日、傷が落ち着いてからにしましょうとの事になった。
主治医は、手術の日程を決めるにあたり、色々な都合をつけていたのだろう。
手術予定表としばしにらめっこをし、いつになるのかなとドキドキしながら沈黙すること3分ほどが経過した。医師から発した日にちは、検査から僅か2週間弱のありえない程の最短の日にちに入れてくれたのだ。
左脇リンパはどうなるのかな?新たな心配材料も増えたが、あとは手術日に向けて自然療法で出来る事をしながら、乳がん先生にも感謝をし、きちんとお別れを告げ、神様から預かった身体の形を変えてしまう事を謝り、心身共に良い状態でいるために日々を過ごした。
無事に手術が終わってからは、入院の期間も私にとっては、とても良いリフレッシュな時間となった。
入院中にシャワーの許可が出た時に、いよいよご対面の時が来た。
主治医の回診の時に、パジャマの前身ごろを託しあげる時は、上から見下ろす感じだったので、鏡越しの正面から見た感じと印象が違うだろうと、どのように感じるのだろうと、ちょっとドキドキの対面。
「なるほどね〜、へぇ〜こうなってるんだ〜、あ〜そうなんだ〜、ほ〜なるほど〜」と、鏡越しに声に出して言っていた。不思議と自分の感情は現れず、とても客観的に見ていて、そこには心配していた喪失感などは全く感じることがなかった。
2週間ほどの入院期間中のバスタイムは、毎日鏡越しにそう言っていた。
退院して、数日が過ぎたいつものお風呂の時間、手術までの流れを有難く思い返していた。
ふと「あっ!そっか!今のこの姿が私の完璧な姿なんだ!!姿形に囚われることなく、ありのままの今のこの身体こそが完璧な姿なのだ!!ありがとうございます」突然湧き出た感情は、感謝の気持ちでいっぱいだった。
退院後、初の診察の時に、傷口を抑えてあるテープを剥がして貰い、それが抜糸だった。
手術の結果の詳細を聞いたところ、懸念していた左脇のリンパは腫れていただけで、正常なもので転移もなく、他の部分も大丈夫。経過も順調という報告に、心から安堵した。
抜糸すると、縫い目が顕になっていた。
この日も、お風呂に入った時に縫い目を見ながら、左胸に手を当ててみた。
今まで感じた事が無い、心臓の鼓動がダイレクトに伝わることの衝撃。
心臓が動いている事を改めて感じ、生きている事を実感した。
その瞬間、もう一度命を頂けたのだと感じ、お腹の中から感謝が込み上げて溢れてきた。
私は、心臓の鼓動をダイレクトに感じた時の感動がいまでも蘇る。いつでも生きている事を実感したい時は左胸を触って心臓の鼓動を確かめている。
乳房再建を考えていたが、想像以上に綺麗な縫い目と、この完璧な姿。何よりもダイレクトに伝わる心臓の鼓動が大好きで、今は再建をすることを考えていない。
患部からのあの出血がなければ、きっと自然療法を続けていただろう。
貧血が身体の限界を教えてくれた。
貧血があったからこそ、決断ができ、このようなお導きを受ける事ができたのだ。
三井記念病院で検診を受けたわけでもなく、突然に現れた“米良奈々子”という一人の患者を、受け入れて下さった、主治医の福内先生との出会いに感謝している。
他の医師は、抗がん剤を勧めたりしながらも恐らく手術を拒否しただろう。
福内先生は、何よりも患者の“自分らしさ”を大切に考えてくれる医師。
全ての出会いは、人と人との繋がり。気持ちと気持ちの繋がり。
そして、その流れが、どこを掘り起こしても矛盾がない。
乳がんは、私にとって先生のような存在で、そこからたくさんの事に気づきがあり、変化していった。
乳がんを通じての素晴らしいご縁がたくさんあった。
それは、これからも続き、そしてこれからの新しいご縁へと繋がっていくのだろう。
手術の選択に迫られていたあの日々は、自然療法を中心に自分と向き合った3年間が、手術を受ける事で全てが無駄になるのかと思っていた。
でも今は、その3年間があったからこそ、感じられた感謝の気持ち。
この経験が、そしてそこから繋がる全ての経験こそが、米良奈々子の生きる原動力となっている。
米良 奈々子
*原稿はご本人の了承がない限り編集をせず、執筆したそのままを掲載しています。
*Who is the 21st runner:::::
name* NANAKO MERA
work* 会社員
favourite website* SP 夏木マリ 野宮真貴のおしゃれブログ
favourite blog* シリウス文明がやってくる
最後に7つの質問*
1. 好きな色は?
ピンク エメラルドグリーン オレンジ イエロー
2. 好きな音は?
水の音
3. 好きな場所 or 心地良い場所?
お風呂
4. 幸せと感じる時は?
いま
5. いま目をつぶって見えたものは?
最近見た きれいな夕焼けの空
6. 好きな言葉はありますか?
ありがとう 大好き 笑
7.年齢
7月で40歳
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